想-息食動想環境について

この記事は今から20年近く前の、まだ若き日に書き留めたもので、現在の私の考えとは隔たりがあります。

できるだけ早く最新の文章をアップできる様に努力いたして入りますので、このことを踏まえてお読みいただければ幸いです。 

s-setagaya154編集後記:『身体とお金』

私達が感じる一番のストレスは命を奪われることです。ですが先進国に於いてはここの部分は一応保障されています。日常に於いて問題となるストレスと言われるものは、そのほとんどが人間関係と金銭問題だと思います。お金は人間の発明した最大のツールだと思います。人はその為に働き、その為に豊かになれ、その為に泣いて、その為に人を殺したり殺されたりと最大のタブーまで犯してしまいます。

その扱い方、接し方を間違えると手痛いしっぺ返しを喰らう事になるのだと思います。そして文明社会というのは本当は、きちんと経済活動を行なっていく事で、人間が成長していける仕組みとなっているのではないかと思います。仕事を「納める」というのはそういう事なのではないかと思います。そのような観点で身体を観て行くと、実に多くの身体の問題が間違った金銭問題に端を発しているのでは無いかと思うようになりました。「欲望」ということです。

私達は、少し前にバブルの時代を経験しました。そこで、物質的豊かさと精神的豊かさが、あまり関係無いことを目のあたりにしました。ですが、「衣食足りて礼節を知る」訳ですし、今現在日本に住んでいる私達は、それらの豊かさを享受可能だと思いますし、ゆったりとした住まいに、お気に入りの服装に、おいしいお食事、観劇や、コンサートなどの文化的行事で心豊かに過ごすことは本当に楽しい事ですし、可能な限りそのような環境に自分を置いてあげることが、私は必要であると思っています。
ですが、More & More、人間の欲求には限りが在りませんが、できれば、豊かにこしたことはありません。

話が宗教っぽくなり不本意なのですが、私は以前、煩悩は滅却するのではなくて、昇華していくんだと、強く思っていた時期があります。脳の使い方でいうと、本能や情動を司る脳幹や大脳旧皮質に囚われている状態からから、知性と想像力を司る大脳新皮質を使いこなせる状態へと移行して行くのだと。
悟りを開くのだって、「開きたい」っていう欲の為に他の欲を我慢してたり、捨てたりする訳だし、「神のもとへ」行きたいという欲の為の禁欲生活な訳だし、人間ってどんなきれいごと言っても、結局、欲と二人ずれでしょう!って。

欲って、すべての原動力だし、何も悪いことじゃないし、我慢するのが美徳とは思えないし、欲求が通らないと身体も歪みます。
じゃぁー、何をやってもイイかというと、さにあらず。やはりこれも身体を基点として考えてみるとどうなるか。鳩尾=みぞおちが弛む、弛んでいる、ということが、一つのキーワードとなります。

私達には「良心の呵責」という防御センサー、あるいはインジゲーターを持って生まれて来ています。世の中を運営している?のか、宇宙のリズムなのか、道徳なのか、どこを基点として働いているのかはわかりませんが、私達はある法則性から逸脱した行為をとると「良心の呵責」に苛まれる事になっていると思うのです。 この後味が悪い感覚、とでもいうのでしょうか、成人君子以外、普通の人なら誰でも経験のあることと思います。この時の身体的特徴は、鳩尾がキューと詰まってくることなのです。鳩尾が硬いということは、頭では肯定していても、心では拒否しているのです。

鳩尾を押して痛いというのは本当を生きていないのです。自分の人生なのに、回りの為に、何かの為に、自分をごまかしながら生きている反応なのです。

s-setagaya155

間違った要求、欲のもと、生きていくことは鳩尾を固めて生きていく事なのです。「救われる」、「大自在力」、「無心」、「悟り?などと世間一般で目指すところの「境地」の身体的共通点は、「鳩尾が弛んでいる」状態であり、その状態を常に保つことの出来る精神状態を獲得して行く為のHOW TOだと思うのです。
それはまさしく肉体の上での(生きていく上での)、経済活動からの卒業(食べていくことに捕われないで済む様になること)を意味しているのではないかと思います。
では凡人である私達はどうすればいいのか....。経済活動がたんに喰う為の労働になると非常に辛く、身体はすぐに疲れて、発病因子は飛躍的に高まります。好きな事を仕事にすれば元気に、いきいきと働けるはずです。ですがそこになんらかの使命感が芽生えるとまったく健康そのものと身体が変化して行きます。

・辛い労働:背中が丸く、呼吸は浅く、すぐに疲れる
・好きな仕事:背筋が伸びて、呼吸は深く、疲れない、いきいきとしている
・使命感を持つと:中心軸(センター)が通り、3つの胆田が充実する..※ものすごく元気である!

こんなことを考え始めたのは、年令や体力など、その人に相応しいものから逸脱して、超元気でものすごい多望の中を御活躍の数名に方々の中に共通項を発見したからです。皆さん、極端にエゴが少なく、本気で、本心から世の為人の為にと思いながら御活躍されています。
私達は皆、顔かたちが違うように、それぞれなんらかの負の遺産を背負いながら生まれて来るのだと思いますが、そこには

1:このように生まれたから、こうなってしまった。
2:このように生まれたけれども、こうなれた。
3:このように生まれたからこそ、こうなれた。

と、3つの段階があるのだそうです。持って生まれた弱点がそのままその人の使命となるそうなのです。体力は精神力の後押しをしてくれますし、精神力は身体を鼓舞して突き進めてくれますが、我が無くなり使命感を持ちはじめると身体の感じがまるで別物になっていくようなのです。残念ながら私はまだそこのレベルにまでは到達していませんから、これはそのような方々の身体を矯正させていただいた上での実感で、それ以上の事はわかりません。ですが、陰と陽、愛情と憎しみが一つものであるように、私達の個性も必ずいい面と悪い面が表裏一体で一つものとして形成されているはずです。どちらの面が現れるのかという要因は、自らを形作る、食、息、動、想、環境であり、その上で、良心に沿って生活し、エゴを少なく、使命感を持つことにより大幅にレベルアップが可能なのだと思います。

s-setagaya156

身体の事を考えていくと、骨格の歪みや筋肉の強さや内臓の問題や食事の取り方だけではどうしても済まなくなって来ます。「こころ」というとても厄介な事を無視して論じても大きく片手落ちとなります。ですが、「こころ」の問題を前面にして論ずると宗教色が強くなり、これまた違うものとなり、今回はそのあたりで考えさせられました。ですがやはり心と身体は一つものなのです。構造は機能を決定していきます。

構造物である肉体の変革をオススメします。背筋を伸ばし、肚に息を入れて、パワフルに生きましょう!そして次回は、やはりいま一番のマイブームである「食」再び、です。今度は「食原性低血糖」という流行りのキーワードを軸に、コンビニ弁当から玄米菜食まで少し踏み込んでみちゃおうと思っています。
※センターとか丹田とか聞きなれない言葉ですが、身体のシステムが究極に整った状態だと思ってください。なにかの機会に詳しく説明します。