この記事は今から20年近く前の、まだ若き日に書き留めたもので、現在の私の考えとは隔たりがあります。
できるだけ早く最新の文章をアップできる様に努力いたして入りますので、このことを踏まえてお読みいただければ幸いです。
通常の医学では、バクテリアやウイルスなどが疾病の原因となり、発病することになっています。そこには患者さん自身の責任は問われませんし、医師は、魔法の薬を使い、ばい菌を殺すことが仕事となります。ですが、最新の分子生物学という学問の視点では、「ウイルスやバクテリアが感染しやすい、体内の環境の乱れ(細胞の機能低下=身体が抵抗力を失っている)という因子がまずある」と考えます。同じ空間に居ても風邪を引く人と、引かない人がいるのはその為です。したがって、どんな病気の場合でも、身体を不健康にしている根本原因を取り除き、正常な細胞の状態を取り戻すことが必要となります。
体内をある一定の環境に整えて、自分以外のものから守る働きを免疫系といいます(エイズが恐いのは、この免疫系を破壊する為、あらゆる感染症にかかる可能性が出てくるから恐いのです)。しっかりと免疫系が働ける環境を、体内バランスを計る為の一つの指標とするならば、栄養バランスのよい食事を基本に据えることが、環境を整えていく為の第一歩となります。もう少し立ち入って見てみると、身体の機能を低下させている原因は、
●間違った栄養摂取
●汚染された食品や水、空気
●環境からの毒物
●強い、あるいは持続的なストレス
●体内時計にそぐわぬ生活パターン
●運動不足から来る基礎体力の低下 etc…
ざっと考えただけでこれだけあります。食べ物、水、空気、環境、人間関係…浄化すべきものは数多くありますが、まずセルフィックな努力と観点で、すぐにでも取り組めるのが、食べ物とお水の改善です。 BD=Body Development的「食」のあり方、考え方を見てみましょう。 私は食事は3つの側面を持っていると思います。それは、
●栄養の供給という物理的側面
●宴としての文化的側面
●生命の譲渡という宗教的な側面 の3つです。
通常、食事が大切である、というのは、「栄養の供給という物理的側面」を指して言います。そこには、どのようなものをどのぐらい、どのような時に食べるかなどを、最新の栄養学に照らし合わせた食事療法から、ある個人の経験的メソッドなどに、あるいはその地域の伝承などに基づいた食養法や食事療法、健康法などが数多く存在しています。皆それぞれにいい所があると思います。じっくりと調べ、御自分にあっていると思ったら、自己責任の上でトライしてみるのもと思います。 BD的に「栄養の供給という物理的側面」を考えてみます。簡単です。そして非常にシンプルです。それは、私達が持って生まれた「歯の形態」に従う、ということを基本とします。 まず、私達のもって生まれた歯の形態は、穀物をすりつぶす為の奥歯=臼歯が4。野菜を噛み切る為の前歯が2。お肉を引きちぎる為の犬歯が1の割り合いで穿いています。 ですから、私達の身体は、穀物を4、野菜を2、お肉2を1の割り合いのお食事をいただく、雑食性の動物として出来ているのです。 犬歯を持って生まれて来たのだから、まったくのベジタリアンというのも??だと思います。 盲腸がいらないと思われていた時期がありましたが、ちゃんと免疫系に関与しているんだと、ある時期からわかりました。 私は、身体に不必要なものは一つも無いのでは?と思っています。
病気のポジティブ・シフト!
身体はまだまだ未知の世界です。トータル的に、生命体としてとらえた場合、何もわかっていないのではないか? 私達が頭であれこれ関与して行くより、身体の自然に任せたほうがうまく行くのではないか…。整体の根本的な思想に、このような「身体の自然を信じきる」そして「まかせきる」というものがあります。 その「身体にまかせきる」という考え方は、食事にもあてはまります。身体のバランスがきちんと整い、私達がクレーバーな身体と呼んでいる、バランスのとれた、心地よい感覚の身体では、今、自分はこのような料理の、このような味つけのものが食べたい、と、現在の自分にとって必要な食べ物が、とてもはっきりと、ダイレクトに食欲に反映されてきます。 その反対に、ギリギリまでバランスが崩れてくると、今、自分にとって一番いけないもの、不必要なのもが、なぜかどうしても食べたくなって来ます。そして、発病していきます。発病とまでは行かなくても、吐いたり、熱を出したり、風邪を引いたり、ジンマシンが出たりしながら、体調を一気に壊して行くきっかけとなります。 BD的に見ると、この体調を壊すと言うことは、別に何も悪いことではなくて、身体をリニューアルする為のきっかけである、ととらえて行きます。それは、「発病すると言うことは、大きくなり過ぎた体内の矛盾を吐き出す為の行為であり、精算行為である」という考え方の提案でもあるのです。 誰でも完璧な生活をしている人などいません。疲れや、ストレスや、過ぎた行為などが重なったり、生まれ持った因子などが関与しながら病に臥せることもままあるはずです。ですがそれをいけないことと考えて戦って行くことも、もちろん正当なことですが、ちょっと、視点を変え、一息ついて「病気は身体の大掃除である。隠し持っていた身体のネガティブな部分を吐き出して、心底、元気になる為の行為なのだ」と考えて行くことも、また必要なことなのです。 そうすることにより、ずっと気持が楽になるでしょう! B D的には「心の重荷は少しでも軽いほうがいい」という発想を基本的に好みます。 そのように考えて行くことによって、存在自体が「悪」である「病」がポジティブシフトされることに気がつくはずです。 また、いつも同じものが食べたい、という要求も、偏りが固定された身体からの要求ですし、いつも何を食べても平気、人と一緒でいいよ!というのは、一見、付き合いがよさそうに聞こえますが、その多くは身体が鈍摩し、内なる声、身体の要求を聞くことの出来なくなった身体からの表現であります。
☆ここまでをまとめてみると、
●穀物4、野菜2、お肉1、の割り合いで食べていくのが適している
●良くも悪くも、身体が要求している、食べたいものを食べる
という、なんか相容れない、矛盾的なものとなります。ここで感じる矛盾と言うのは、体調を整えて、クレーバーな身体で生活して行くと、自然と4、2、1のバランスが整い、今の自分に必要な食事を欲するはずなんじゃないの? という所から来るのもだと思います。 確かに、きちんと整った身体ではズバリとごく狭い範囲、あるいはピンポイントに必要とするものを適格に要求します。ですが、実際には、4、2、1、のバランスとは相容れないことの方が多くあることも事実です。 ここに一つのからくりがあります。4、2、1、のバランスを「人の一生」という長いスパンで考えてください。子供と老人とでは必要とするものも、美味しいと感じるものも、まるで違うのが当然です。 成長期には、お肉など、いくら食べても、それこそ毎日がお肉でも尽きること無く、しかも美味しく食べられます。しかし、老年期になれば、お肉などはほんの少し、あるいは、何日かおきでいいかもしれません。
必要と感じるものは美味しいと感じるのです。味でいうと甘く感じます。お水を飲んでも、お塩をなめても、もし必要なら甘く感じます。「旨さ」というのは「甘さ」なのです。食事も、整った身体で、タイムリーなものを食べるということは、ものすごく美味しいのです。すべてに甘味を感じているのです。 身体の矯正の仕事をしていて、よく「まるで食欲がないけど栄養の為無理に食べているんですぅ」などとお聞きすることがあります。真正面からお答えすると、きっと半日はその方への説明で過ぎてしまうこととなってしまうと思うので、その場では「あ~っ、そうですか......」と、うやむやに、お茶を濁してしまうのですが(その為のB D通信なのです!......許してね!)、無理に食べているなんて愚の骨頂です。食事がまずければ食べなければいいのです。 何も食べずに1~2日は、本当に、何の心配もなく過ごせます。その「食べない」という行為を否定するすべてのささやきを無視してトライして見てください。心から美味しくお食事が楽しめる身体になります。旨味=甘味ということも、身体が欲する要求ということも、お水の甘さまでも、すべてが、体感として理解できるようになります。私は、これは財産だと思っています。物のありふれた、飽食の時代に生きて行く上で、すべてが鈍く、鈍摩した感覚が当たり前の中で、本当のピュアーな感覚を取り戻すこと。そこから感じることは、オーバーではなく、価値観を変革していく第一歩として相応しいとさえ思っています。
食べ物の陰と陽 身体の陰と陽
東洋哲学と呼ばれる、中国で生まれた、森羅万象すべての成り立ちを理解する為の学問では、まず、すべての根源的なエネルギーは、陰と陽という2つに別れ、それぞれが木、火、土、金、水という5つの性質を有し、渾沌と生々流転しながら万物を形成していく、と考えています。それを何に当てはめて行くかで、易教とか風水とか気学とかが生まれて来たのだと思います。身体に当てはめたのが東洋医学で、もちろん、食べ物にもあてはまります。これらの考え方は、歴史のひもをとくと、私達の国の思想や文化の根っこの部分に大きな影響を与えていることがわかります。 現在、私達の身の回りには、ジャンクフード、ファーストフードに代表される、拍来系お手軽フードがあふれています。発祥の地アメリカでは日本食をはじめ、オリエンタルのバランスのいい、健康食に注目がいっています。もちろん、これは知的水準が高い人達は、という注釈付きですが.....。 これは困ったことなのです。バッシング覚悟ではっきりと言います。こと、食事や栄養学に関しては、アメリカから入ってくる情報などは、ちゃちで、こて先の動物実験などの結果を継ぎはぎにしたのもや、商業ベースに乗っかったものでしか無いのに対して、2000~3000年の文化の集積である私達の伝統食が著しく優れていることは、決して否定できない事実なのです。もって生まれた消化酵素や腸内細菌叢にしてみても、たかだか40~50年では大きな変化はあるはずも無く、私達の身体には、どう考えてみても日本食が適しているのです。その特色は、「身土不二」、「全体食」、「陰陽食」などに代表されるバランスと秩序です。 ここでは、食べ物の「陰陽」ということを、やかりやすく体質の「陰陽」にからませて述べて行くことにします。物事を分類して考えて行くことで、本質が見えてくることがあります。まず、「わたし」のタイプがわかると、「わたし」に必要な食べ物の系統が見えてくるはずです。できるだけわかりやすく、簡単に進めてみましょう。
体質の陰と陽…まず自分の体質を知ろう!
身体の中の「水」と「熱」のバランスから、両方とも少ない陰性タイプと、両方とも多い陽性タイプとに分類します。本来、もっと複雑に分類して行くのですが、ここでは大きく分けた両極を御紹介しますので、自分はどっち側かな? と軽い気持で考えてください。もちろんまん中の中性もアリです。
陰性タイプ
●寒がりで手足が冷える
●反対に顔は火照る
●風邪を引きやすい
●食欲が無くて下痢しやすい
●胃腸の下垂がある
●顔色が白っぽく元気が無い
●温かいものを好む
●あざが出来たり皮下出血しやすい
●舌が白っぽくて薄い
Point…消化吸収力を高めていくことがすべてのポイントとなります。栄養の補給に気を使うことが大切となります。ですが、必要以上に食べないこと。無理に食べると内臓の負担となってしまいます。冷たいものや、水分の取り過ぎ、薄着や冷房で身体を冷やすことにも注意が必要です。気持のよい運動をして、充分にお腹を空かせてから、おいしく食べることがコツとなります。
陽性タイプ
●よく汗をかく
●胸板が厚く筋肉質
●冷たいものを好む
●湿疹が出やすい
●口が苦く感じる
●尿の色が濃い
●目やにが出やすい
●排便後しっくりしない
●舌が厚く舌苔が黄色い
Point…どちらかというと無理が効くほうですが、暴飲暴食を避けて、運動などによって身体に溜りやすい熱を発散させてあげることが、体調を維持していく上で必要となります。食事も、味が濃いものや、こってりしたもの、高カロリーや香辛料の取り過ぎには注意が必要です。 理想的な体質はプラスもマイナスもどちらにも大きく片寄らないことが大切であり、中極、あるいは中道とよばれるゼロポジションの近くでバランスがとれている状態を理想とします。その為に、陰性タイプの人は、身体を暖めてくれる陽性の食べ物を食するのが適しています。陽性タイプの人は、身体を冷やしてくれる、あるいは身体の熱を取ってくれる、陰性の食べ物を食するのが適しています。また、この陰と陽の2つは、お互いに補い合い、影響し合い、反発し合いながらダイナミックに変化生成しています。そうすることによって、あらゆるエネルギーを生み出しているのです。
食べ物にもある陰と陽
大まかにわけると、植物は動かないから陰性(カリウムを多く含んでいる)。動物はより動くから陽性(ナトリウムを多く含んでいる)。また、植物の中でも、葉っぱの部分は、太陽に向かって伸びて行くのでより陰性。大地に、地球の中心に向かい伸びている根っこの部分はより陽性。発育状態でも、一気に、どんどん伸びて行くのは陰性度が強く、大地に横に拡がって伸びて行くものはより陽性度が強いといえます。地域性では、寒帯地方のものは陽性のものが多く産します。また、調理法などにより、陰性の食べ物も陽性へとシフトして行くことが出来ます。 身近に例えると、高血圧で赤ら顔のオヤジは(失礼!)、血圧を下げるカリウムが多い緑黄色野菜やジュース、調理法も減塩でより生食に近いほうが適しています。食後には、さんさんと陽を浴びた(中には身体を冷やす成分がたくさん含まれる)スイカやメロン等をたっぷりと取るといいでしょう。 逆に、冷え性で陰性体質の女性が緑の濃い野菜などを食べるのには、サラダなどは不適応で、野菜炒めなどにして熱とお塩を加えて食べるとか、根野菜をじっくり煮込んだものなどは、とても身体を温めてくれる陽性料理となりますので適しています。
私は先き程、食事のクオリティーで、気を付けて3ヶ月経つと作られてくる身体の環境が違ってくる、と申しました。もう少し深く立ち入って、陰陽バランスを整えながら食べて行くと、1年から3年で体質自体を変革して行くことが可能だと思っています。B D的にも、まず、毎日のお食事を整えて行くことを第一に持って来たのも、このような理由からですし、なによりも、日々のお食事に気を使うと言うことは、生活自体の是正につながるからなのです。身の回りをきれいに清潔に保ち、規則正しい生活を送ることがやはり理想的なのです。都会での生活は、サイクルも早く、なかなか思うようにいきません。その中で、なにから手を付けて行くのか、と考えると、日々のお食事の改善なのです。
オススメお食事改善計画 1
白米ではなくて5分つき、3分つき、胚芽米、出来たら玄米食にしてみる。 また、そば、ひえ、むぎ、あわ、などの雑穀を混ぜてみる。 2 寒い季節や、身体が冷える陰性体質の人:動物性の食べ物や、火を通す時間の長い陽性の食べ物を多く取るようにする。 3 熱い季節や、身体に熱がある陽性体質の人:緑黄色野菜や果物、火を通す時間の短い料理を取るようにする。 4 その季節でとれた、旬のものを食べる。 遠い外国の物より環境が似ている近くで捕れた物を食べるようにする。 5 ミネラルを多く含む豆類や海藻を食べる。ミネラルバランスはものすごく大切である。 6 水、塩、調味料、に気を使い、化学調味料、人工甘味料などは避ける。 高性能浄水器、あるいは自分にあったミネラルウォーターを使うのがベスト。 塩は海水塩などがオススメ。精製塩はいわゆるNaCl。対して海水塩は88~92 %のNaClと約10%の鉱物成分ミネラルが含まれている。水は生命誕生の起源。人間も地球上に生きる動物として、自然との一体感を感じられる海水塩を使ってみたら? 7 みそや納豆、お漬け物などの醗酵性食品を多く取る。 私達の国にはヨーグルトに負けない麹という乳酸菌を摂取し、腸内細菌を整えて行く食べ物が数多くあります。
小話その1
豚や牛の脂は、飽和して固まる性質があり、飽和脂肪酸と呼ばれます。植物性の油や、背の青い回遊魚、サバ、アジ、イワシなどの脂肪は固まらない性質があり、不飽和脂肪酸と呼ばれます。固まる固まらないは、人の身体の中に入った時に、ということで、その秘密は「体温」にあります。 生きた牛の体温は41.1度。回遊魚が泳いでいる水温は冷たい時で5度とか10度。人間の体温は36.5度。もうおわかりですね。牛の脂肪は牛の身体の体温だから解けていられます。私達の身体の中では、固まって、血管を塞いでしまうが、魚の油は充分に溶けていて、良質のコレステロールを作り出すことが出来ます。な~んだ、そういうことかっていう感じでしょ!
宴としてのお食事
食は文化です。情緒的な満足を食に求めたり、器や食器に凝ったり、雰囲気や美しさを求めたりと、私達の生活を豊かに、心地よくしてくれる行為でもあります。 身体に良いからと○×健康食などをまずそうに一人で食べるより、たとえ、多少身体にとっては好ましくない食べ物でさえ、気の合う仲間と、楽しく、笑いながら食べるのとでは、圧倒的に後者の方がオススメです。 よく、ちゃんとしたレストランや、気持のよいお寿司やさんなどにいった時に、「料理には絵心が無くてはいけないのだな。これは総合芸術だ。僕は志さなくて本当によかった…」と、つくづく思います。そのようなお店は、味はモチロンのこと、店内の行き届いた雰囲気や、サーブしてくださる方の心を尽くした気配りが相乗効果となり、本当に気持よく食事をさせてくださいます。「食が持つ文化的側面」の神髄の一つはこのあたりにあるのでしょう。 毎日がそのような所で食べることが出来たり、家庭がそのようである貴族的な方達はうらやましがっておくとして、不幸にもそうで無い私達は(私だけか…?)ちょっとした工夫をして、なんとか文化的食卓を作り上げて行くのも、味わいのある、幸せな毎日を過ごしていく為の必要事項だと思います。
小話その2幸せの記憶…
私達の五感の80%は目からの視覚に頼っています。これは、比較的脳の表層の部分で処理されます。対角にあるのが嗅覚で、脳の深い部分、とても原始的な部分で処理されます。 記憶を無くした時などに、フッとフラッシュバックなどが起こるのは、臭いがきっかけとなる時が多いそうです。 ある学校の先生の話です。子供がぐれてしまった場合、その子のお弁当を見て、立ち直れるかどうか、大方の見当がつくそうです。ちゃんと心のこもった手作りのお弁当を持ってくる子は、たとえ一時期、横道に逸れてしまっても立ち直りが効く場合が多いそうです。 それを聞いて「きっとその子が小さい時に、お台所で母親が奏でる、トントントンと料理を作る音と温かい家庭の臭いが、頭の深い所で何かの拍子にフッと蘇るのだろうな、それはまさしく『幸せの記憶』なのだな」って思いました。特に幼少期には刷り込みといって、その子の一生を通じての傾向性を決定して行く深い意識が形成されて行く時ですから、いま、小さな子供がいるお母さんは、ぜひ、幸せチックな事をたくさん埋め込んであげてください。信頼できる、やさしい、いい子になりますから。必ず.........ね!
小話その3 Eating…
少し前に、消化吸収率の良く無い3人の人達(簡単にいうと胃腸の弱い3人)、との会話の中で浮き彫りになったことです。「何をどのようにして食べると身体にいいか?」と皆、一様に、真剣に考えていますが、大切なのは、体内に取り入れるシステム(吸収率)の善し悪しで、いかに、そこの部分のクオリティーを高めて行くか、ということなのです。整った身体は粗食からでも充分な栄養を吸収出来ます。そして優秀な腸内最近群がビタミンやアミノ酸などの、多くの栄養素を作り出してくれます。
生命の譲渡としての「食」
「食事」という行為は、ある面から眺めて行くと、ものすごくグロテスクな行為の連続でもあります。私達が何かを食べる行為とは、なにかを殺してしまう行為でもあります。ある時、人一人が長い間生きていく為には、多くの生命を犠牲にせざるを得ないという、普段何も考えずに行なっている、このあたりまえの現実に直面した時、なぜか気持がそこの部分に引っ掛かってしまい、なんとも言えぬ重たい気分を抜けだせないでいる時が続いた事がありました。 その時、考えた末に思ったことが、「豚は食べられて成仏する」という超身勝手な解釈でした。肉体を持っている限り食べない訳にはいきません。それはたとえ成人君子といえ逃れられない現実です。ですが、そこに人間固有の、すこぶる尊い行為である「祈り」という、生命を提供してくれた者達に対する感謝と畏敬の念を捧げることで、「喰う為に殺す野蛮な行為」を、「生命を同化して行く神聖な作業」にポジティブシフトして行くことができるのではないかと考えたのです。人間に尊厳があるように、豚には豚の、レタスにはレタスの尊厳があるはずである、と。生命を提供してくれた食べ物への感謝の気持、その肯定的な行為が、スパイスとなり癒されて行くのではないでしょうか。そしてその肯定的な思いのスパイスが、結局は自分の身体の肯定的な構築へと繋がり自身へと帰ってくるのだと思うのです。 宗教上の理由から、お肉を食べる時には、何日か前から相手に対してマントラを唱え、マントラを唱えながら屠殺をし、マントラを唱えながら総ての血を抜き去ったお肉を、敬虔な祈りと共に食べる、それしかお肉は口にしない。という事を以前、モーリシャスのインド系の人に聞いたことがあります。対象となるDNAが人に近くなればなる程、複雑な感情を持っていたとしても不思議ではありません。万物の霊長である私達は、他の生命体に対しての理解と責任をあらためて考え直す事も必要ではないかと思います。
小話その4
フィージー、パプアニューギニア諸島などで実際にあった、カリバニズム(人肉主義)なども、やみくもに人のお肉を食べる野蛮な行為などではなく、戦士同士が戦い、勝者が敗者を敬う意味として、その勇気と魂を受け継ぐ行為として、相手を「食べる」のだそうです。なんともスピリチュアルじゃないですか。 小話その5 以前ものの本で読んだネイティブインディアンのシャーマンの話があります。「ある時、病気の人が出た。彼の病気に効く薬を探しに山へと入り、薬草に相応しい、珍しい一本の木を見つけた。だが、すぐに摘むという乱暴なことは決してしない。最初の日は自己紹介。次に訪れた時に、植物が持つ敬虔な力をほめたたえる。その次に訪れた時には、事情をはなし、実はあなたの力が必要なのだ、と。それから必要な時を経て、植物が観念し、どうぞ、と我が身を差し出した時にマントラを唱えながらはじめて摘むのだ」 このすぐには摘まずに、植物に充分な時を持たせる、というのは薬効成分が充満してくるのを待つ、事なのだそうです。私には、わかる気がしますね。そこには生命の尊さに対する敬愛と、八百万神的あいまいさが感じられて、なぜか心がやすらぐのは私だけでしょうか。 植物と話をすることを、作家の芹沢幸次郎さんをはじめ何人かの人が書いてましたが、本当に話せるのでしょう、きっと。
負の栄養学…食べない、小食、ファスティング(断食)
真剣に、食事について考えて行くと、必ず、すぐに、これらの問題に突き当たります。 ●食べ物自体が持つ栄養素の含有量が、~十年前と競べて半分以下である。 ●いま、お肉を食べるということ…薬漬けの家畜達 奇形や病気で数十%の廃棄される食肉牛の内臓など ●残留農薬、ポストハ-ベスト問題、環境ホルモンと有害物質による汚染 etc....etc.... 書いているだけで辟易してきます。結局、社会的問題にまでなってしまうので、ここではこれ以上取り上げることはしませんが、ちゃんとしたモノを食べたいという、自然な要求がこれほど難しいのはちょっとね…。
これまでに書いてきたことは、どういうモノを、どうやって食べるか、とか、どうせ食べるなら楽しくね! とか、食べる時に感謝の気持があるといいね! ということです、簡単にいえば。 で、もう一つ大切な事があって、それは、自らの意志でたまには「食べない」ことです。少し前に流行った、週末断食なんて、日頃無理を聞いてもらっている内臓の休息にはもってこいだし、肩凝りとか、腰痛症とかの日常のトラブルなんかにも抜群の効力を発揮します。それに、断食明けの、一杯のお粥のなんておいしいこと! どんなグルメにもひけを取りません。物が無くて食べられないのでは無くて、あるのに食べない行為は、自己管理の面からみても、いい訓練にもなります。 人間って面白くて、食べれないと「飢餓」になり、自ら食べないでいると「修行」になるのです。不思議ですね! ここではいくつかの節食~簡易断食のやり方を御説明します。取り組みやすいのもからお試しアレ!
1 カロリーハーフダイエット…勿体無いですが、3食全部のお食事を、半分づつ残す修行? です。
●簡単です。何を食べてもいいです。半分残せば、摂取カロリーは二分の一になる訳で、内臓の仕事量も半分に減る訳です。一月も続ければ、グッとスリムなあなたに!! ※倍注文しないこと。エコロジカル、道徳的な観点で見ると懺悔が必要ですぅ。
2 簡易ラマダン:イスラム教のラマダンを安易にまねして、お日様があるうちは食べ物を口にしない修行? です。
●睡魔と一緒で、何度か波が襲ってきますが、乗り越えると意外に平気なものです。夜は何を食べようか!との空想を楽しめます。 ※決してバカ食いしないこと。
3 簡易断食:お手軽ファースティング。何日も行なう本格的断食はめんどくさいのでやりません。この簡易断食は、週末や、思い立った時にすぐ出来る修行??です。
●全部で3日かけます。初日のお昼は軽~い食事で、半分ぐらい。夜から次の日までなにも食べません。3日目の朝はお粥一杯に梅干し、味噌汁。これが激ウマです! で、昼は普通食半分ぐらい。夜から普通に食べる。ですが、あまりこってりしたものや、脂っこいものは食べないこと。まぁ、食べたく無くなりますが、普通は。 これらの事を行なってみると……
●とにかく気持がいい。「飢え」は原始的な感覚を鋭敏にしてくれます。身体の野生を呼び起こす!
●余剰エネルギーによると思われる、肩凝り、腰痛症、内臓の不調、便秘、むくみ、イライラ、喘息などが起きなくなってきます。
●身体が軽く、気持がハッピーになってくる。 Why? … Idon't know!
●ふだん気がつかない自分の「貪り」が見えてくる。
●よって、こんなにシンプルに生きていけるんだ。と自信が持てる。 なんだかんだ言って一番のオススメです。やってね!!