息-息食動想環境について

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一つもの

私がいろいろな所でいつも言っている、比較的わかりやすいモノの例えの一つに、「悲しみは肺を傷つける」ということがあります。これは、呼吸機能が衰えてくると、どうしても悲観的に物事を考えてしまう、あるいは、肺の機能が低下してくると、知らず知らずの間に、思考がマイナス方向へと向ってしまいがちになりますよ、ということなのですが、「肺のポーズ」というのがありまして、肩を巻き込んで少しうなだれているという姿なのですが、これを私達は、心肺機能系統を守る為の防衛反応からくる身体の歪み、肺=呼吸器運動を庇う為のポーズであると考えています。

肺の運動=働き、と言うのは、鳥かごのような胸郭が、アコーディオンの様に上下に動いて呼吸運動をしています。肩を巻き込み、背中を丸めた「肺のポーズ」では動きが抑制されて、深く呼吸することが出来ません。
身体の中で一番酸素を必要をする器官は脳です。質量は全体の8%ぐらいしか無いのに、摂取した酸素の3割は脳で消費されます。この燃費が悪く、大食いな臓器に充分なエネルギーが行き渡らないと、どうしても働きが鈍くなる、健全な、ポジティブな思考が持ちづらくなってくる。どうしても一歩遅れて、マイナス方向へと考えてしまうことになってくると私達は考えています。呼吸が浅くなり、脳に酸素が回りにくく酸欠になってくると、怒りっぽくなったり、短気になったり、泣き虫になったり、一つの事をじっくりやり通す事が出来なくなって来ます。集中力も忍耐力も物事を肯定的に捕らえ考えて行く事も、神経が疲れていたら出来ないのです。神経を働かす為には酸素が必要ですが、肩を丸めてうなだれていると大きな呼吸=酸素を充分に取り入れる事が出来ません。

何年も前になりますが、待ち合い室のソファーの前にカサブランカを2週間ごとに5本活けていました(隔週月曜日にお花屋さんが矯正に来ていたのです)。月曜日に活けて、ちょうど見ごろは金曜にぐらいで、20輪ぐらいの花が一度に咲きほこります。そうなると臭いも強烈!ビジュアル的にも派手なものでした。その当時の事なのですが、花が活けてあるソファーの前で2~30分待っていても花の存在に気がつかないで、矯正が終わり戻って来て初めて「あ~、綺麗な花ですねぇ~、気がつかなかった!」という人が何人もいたのです。目には入っているのですが、心には昇らないのですね。

私達の目は実際にはかなり多くの物が見えているのに、必要な物にしか焦点が合わないように出来ています。これはとても高等な情報処理技術です。心の問題も私達が普段思っているよりも、実はとても複雑に働いています。ですが身体を通すと実に簡単に変えていくことが出来るのです。辛かったり、痛かったりすれば、幸せチックな事などよけいな事として通り過ぎてしまうのも自然な事です。子育てをしているお母さんを観ていると、自分体力が無くなってくると、泣いたり騒いだりがとたんにうるさく感じるらしく、子供にきつくあたっています。育児ノイローゼーなどはその最たるものですね。施術の前後で考え方から感受性など、それこそ別人のようにコロコロ変化する事実に毎日接していると、「自分はいじわるだ」「自分は性格が暗い」などと、常日頃考えている「自分」なんてまったくいい加減なものなのだなと思います。

内臓の働きと、感情の方向性と、呼吸と姿勢のあり方は一つのもなのです。身体の表面に出来た、それに相応するこわばりを緩めていくと、怒りや不安や心配などの、心の中のこわばりも消えていきます。こういうことは不可能なことでは無いのです。
私は、毎日の矯正の中で、ごく当たり前のこととして行なっています。

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すべては一つのエネルギーの表現相

普段、揺るぎなく思える「私」という存在は、実は、身体=エネルギーのあり方でころころ変わる超不安定な存在です。
例えば、あまり好きでは無いことをやっている時にでも、心の方向性を積極的な向きに保っていこうとする。その為には、体力が必要となって来ます。創意工夫をしていこうとする意欲も、その根底に体力が無いとうまく働きません。
身体の矯正をして、生活を改善していき、なんとなくぼんやりと疲れていた身体に元気が戻って来ると、今まで嫌だったことも嫌で無くなることがあります。今まで大変だったことも大変では無くなりファイトがわいて来ます。
しかしそれとは逆に、元気になって、本来の自分が戻って来ると、平穏だった今までの現状を打破してしまうこともあります。パワーレスの時にはなんとなくこんなものかと耐えていられたが、心底元気になったら、会社や学校をやめてしまうこともあります。離婚してしまうこともあります。これらの現象は、生命力が低下し、弱っていた身体にエネルギーが満ちあふれてきて、自分本来の姿を取り戻すと、本当の自分の気持に気がつかずに誤魔化していたことや、我慢していた事に気づき、耐えられなくなってしまうからだと思います。エネルギーがない時には耐えられていたのに、エネルギーが満ちあふれてくると我慢が出来なくなって来る.....少し矛盾に思えるかも知れませんが、そういうものなのです。よく、波乱万丈と言われる生きたかをしている人がいますが、こう言われる方々は共通して元気をもてあましている感があります。これもエネルギーバランスの問題だと思います。エネルギーが少ないと、好むと好まざるにかかわらず、いい悪いに関係無しに、平たんに歩んで行くしかないのです。
ここでいうエネルギーを元気とか、代謝力とか、生命力とか、氣とか、生体磁気とか、なんでもいいですから、あなたがイメージしやすいのもとして 考えてみてください。身体を流れているこのエネルギーが、足りなければガス欠をおこしてしまいますし、ナマ物ですから、多すぎて使い切れなければ腐ってしまいまい、逆に自分を破壊するような働きをしてきます。全体では足りていたとしても、偏りを生じて、部分部分で足りなかったり、多すぎたりしても、問題が出て来ます。適度に、まんべんなく、というのが好ましいあり方です。
このエネルギーというのは、人それぞれ、もって生まれた大小があります。また、気持の持ち様で、大きくもなったり、小さくなったりもします。疲れてくると少なくなりますし、元気な時にはたくさんあります。また数日~数週間~数年という周期によって、盛んになったり、おとなしくなったりそしています。そして歳と共に衰えても来ます。
私達の持っているそのエネルギーの中で、一番強く大きなエネルギーというのは、やはり生きていく為の、そしてDNAを残す為の性エネルギーです。文明と言うのは「性」や「残虐性」や「食」などという野蛮な(根源的な)エネルギーを抑制していく事によって成り立っているそうです。私達はこの強くて大きな性エネルギーを、様々な面に昇華して文化を気付き上げて来ました。
身体でいうと、性エネルギー=生殖器=骨盤ととらえていきます。それを性の問題として処理しない、あるいは出来ないと、なにかしなくてはいけない、といきり立つような衝動に駆られていきます。それが知性=頭脳と結びつき、想像力へと発展していったり、行動力=胸郭の運動として発現されていったり、闘争心=腰部の動き=泌尿器系の働きとして爆発し、感情=腹部=消化器系の運動として消化されていったりしているのです。

病気でも困難でも、苦労でも、人間の中にある悪い心だとされている恨みだとか妬みだとかいうものでも、結局それらはすべて一つのエネルギーなのです。だからそのエネルギーが抜けてしまえば一緒に無くなってしまいます。若い頃は、異性に対して、非常に恋しく思っていても、年を取るとその恋しいというのは若い頃のように激しくはないでしょう。やはり歳を取るとだんだん冷静になってしまうのです。悔しいのでも、妬ましいのでも同じで、エネルギーがある内は遮二無二妬ましいことでも、歳を取ると人それぞれ生き方があるとか達観してしまって、余り羨ましいも、妬ましいも無くなってしまいます。要するにそういう烈しい感情を支配しているエネルギーが無くなってくるからなのです。だからだんだん人生は彩りが無くなって、墨一色の世界になっていくのです。一生この気持は忘れまいというように考えていたものでも、それは自分の中にあるエネルギーの裏付けによってあるのだから、エネルギーが無くなればそういう気持も無くなってくるのです。

......人間が持つ色彩=色気で、まず一番先に抜けて行く赤色を補おうと、還暦に赤いちゃんちゃんこを着るのだそうです。矯正後、目の前がパッと明るく感じる経験をお持ちと思いますが、身体が元気になったその時に、まっ先に目に飛び込んで来るのがやはり赤色なのです。余談ですが。
私達の心は、私達が思っているよりかなりのウエートで身体の状況に左右されているのです。元気な時には冗談として笑って過ごせる一言も、疲れている時にはムッとしてしまう経験をお持ちではありませんか? 肩がうんと凝っていれば道端に咲く綺麗な一輪の花など目には入ってこないし、どうでもいいことなのです。目の中に入れても痛くも無いはずの赤ちゃんが、お母さんの体力が無くなってきたとたんにうるさく思えて来るのです。このエネルギーを意識的にコントロールして行こうとする鍵が呼吸にあるのです。

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呼吸......意識と無意識の掛け橋

生まれてから死ぬまで一時も休む事無く行なっているが「呼吸」です。この「呼吸」だけが唯一、自律的に行なわれている運動を、意識的に行なう事の出来る生理機能となります。この「呼吸」には一つの大きな特徴があります。それは「元気な人は、深く、大きな呼吸をしている」という事です。調子のいい時、うれしい時、生き甲斐を感じている時、感動している時、決意した時などは誰でも無意識に深く、大きな呼吸をしています。この場合に「機能は形態に従う」という法則性を当てはめて行くと、機能=生理機能、形態=呼吸運動、に当てはめていく事が出来ます。形態=呼吸運動の状態を変化させる事により、機能=生理機能(心と身体の状態)に変化を及ぼす事になります。自然と浅い呼吸をしている時=落ち込んでいる、痛みがある、ストレスフル、悲しい、疲れている時などに、「深く大きな呼吸」を意識的にして行く事で心と身体を「元気な状態」へとチェンジして行く事が出来ます。

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呼吸のリズム

呼吸についてもう少し詳しく観て行きます。よく武道などで「スキがある」等というのも「呼吸」のことです。「スキ=隙」というのは呼吸の間隙(かんげき=あいま)のことで、息を吸い切った時には力が抜けず、吐き切った時には力が入らないという特性が身体にはあるのです。「虚を突く」ということは呼吸の間隙を上手く利用するということなのです。日常会話でも、のべつまくなししゃべりまくって、フッと息を吸い込むその瞬間に「ボソっ」と言われた一言は相手の内に残る。これは相手のエネルギーの方向を変えて行く技術なんだと学生の頃教えていただいた記憶があります。
また息を吸いきった頂点で吐く息の速度に合わせて触られると、触られた本人は認識出来ません。腕のいいお医者さんは注射や点滴をする時など、この呼吸を使っているから痛く無いのです。
また、呼吸を注意深く読んで行く事により、心の内側を覗いて行く事も出来ます。 相手が自分に対して賛同している意思表示をしていても、呼吸が浅く短ければ内心では不賛成なのです。相手の吐く息に力が入っていれが興味を持っている(共鳴している)し、相手を威圧しようとしている時には、相手より長い呼吸をしています。恋人同士でも、暖かい息を出していればうれしいのだし、冷たい息を出していればいやなのです。このように心身の働きと呼吸のリズムは拒んでみても一定なのです。@心とからだ
私達の一番の特徴はニ本足立位です。正しい立ち姿は、頭をまっすぐにして、耳、肩、股関節、膝、くるぶしが一直線となり、土踏まずに上体の重さがきちんと下垂していて、できるだけ身体の力が抜けている、ということが大切になります。

ですが、一たん異状姿勢が身につくと、正しい姿勢を意識的に保つことが難しくなり、無意識の時には(生活の95%が無意識です)いつも異状姿勢で行動していることになります。ですから何もしていなくても疲れるし、何もしていなくても壊れてしまう、ということが起ります。
また、姿勢や態度は内面の働き、すなわち「心の状態」を現わす鏡ともなります。 ロダンの名作「考える人」は『足の第一趾とアゴと腰に力が入っているから深く考えている姿勢である』そうです。悲観しているのなら『身体はもう少し前屈みになり、首の力が抜けて、アゴを出し、第五趾に力が入り背中は盛り上がっている』状態となるそうです。背中を丸め、風采の上がらなかった人でも、課長の椅子に座ると、責任感が背筋を伸ばすのか、相応の外見をかもし出して来るといいます。内なる心の働きは、身体の外的状況として第三者が覗き見ることが出来るのです。またその反対に、姿勢を変えていくことにより心の状態を変化させていくことが可能となります。つまり体重心の変化が脳に対する刺激を異にするということなのだと思います。例えば、すぐに消極的になる人は、胸と腰に力が入りずらいから、胸を張り、腰を少し反って、腰と足に力が入るようにするといい。心配性の人は、前屈みの姿勢が身についている。

よく喧嘩をする人は肩が上がって腰が捻れている。疲れた時にはアゴを引いて腰を伸ばすと元気が出て来て頭もはっきりして疲れずらい。イライラしている時には胸を張り大股でゆったり歩くと落ち着いて来ます。このように、感情も生理的要求も、ともに身体の要求の現れであるから、これを打ち消したり、押し殺したりは出来ません。
無理に押さえ込んだりするとそのエネルギーが内向し、「やけ食い」などの代替的行動となって現れたり、精神のバランスを崩した行動を取ることにでバランスを取るようになります。身体の内部の異状が姿勢の異状を作り出すという事実からすると、姿勢を正すということは内部の働きを整えるということを意味し、姿勢や動作を正すということは、ただ単に外見だけの問題だけでは無く、こころも正す働きもあるからとても重要なのです。日々の、身体に対する心構えとしては、足腰を衰えさせずに、背骨の柔軟性を保つ様にしていくことが、快適に生活していくコツとなります。工夫してみてください。