また一人、整体の師匠が逝ってしまった。
悲しい。本当に悲しい...
岡島瑞徳先生である。
当時、開業して数年が経った十五年ほど前、私は均整法、野口整体、頭蓋仙骨と、三人の師匠を立て続けに喪った。
仕事的には順調に盛業して来ている反面、忙しくなればなる程、自分の健康面が衰弱していくのが怖かった。
大好きな仕事なのだが、この仕事は困った事に治療家自身の生命エネルギーを枯渇させていくのだ。
腕の良い治療家ほど早死にする。
あるいは気功家のいう偏差という廃人のような状態へと陥る。
どうするか? 今ならまだやり直せる....。
当時の私は、毎日が心の奥底で言いようの無い恐怖との戦いだった。
患者さんが元気になる。
しかし施術した本人は衰弱する。
本当にすばらしい職業故、こんな理不尽な事ってあってはいけない。
しかし現状は...。
辞めるか?
毎日このような問いかけが心の中で続いた時期に、ご縁をいただいたのが岡島先生だった。
この仕事を続けていくのなら、何かを変えていかなくてはならない。
そう、まずはすべての奥義と言われている呼吸だ。
と考えて合気道の道場に通ったり、丹田呼吸法の道場に通ったり、西野式呼吸法など、あっちこっちに顔を出している時に、整体とヨガを行なっていて、しかも演劇出身の先生?なんかこれはいいかもしれないな〜と、岡島先生の著書を手にした2分後には電話をかけたのを覚えている。
代々木上原の自宅から、岡島先生の道場のある経堂には交通の便もよく、運良くその日のうちにお会い出来たと思う。
当時の先生には華があった。
ショウビズ出身と言う事もあり、同じ系統の匂いを感じていたのかもしれません。その場で入会し、ヨガのクラスに通い出した。
岡島先生は野口整体の野口晴哉先生を人生の師と仰ぎ、どこまでも野口先生を追い求めておられた。
岡島先生の元で勉強させていただいた期間は短いものでしたが、先生からは多くの宝物をいただいた。
スクールでも厳しく指導している『型』、全開掌、そして整体協会で習った脊髄行気も腑に落ちたのは岡島先生に直接指導いただいた時だった。
当時から先生は常に死を見つめていたように思う。野口先生の影響もあったと思うが、これは私の直感だが、死を焦がれていたように感じた事もある。
しかし傾倒した岡島先生との別れは足早に訪れた。
同業者、身体均整法出身、そしてなにより身体観が違いすぎたのだ。
だが岡島先生と出会った事が、この業界に踏みとどまるきっかけとなった事は確かだ。
その後たくさんの紆余曲折があって、私は現在の自然手技療法の確立に行き着いた。
「食・息・動・想・環境」を整えて、まずは施術者自らが元気にならねばならない、という命題も、師と仰ぐ人に先立たれた未熟者の心の慟哭から発しているのかもしれない。
最近の私は店舗の展開やスクールの運営などの経営と言うもののおもしろさをわかりかけて来て、治療家としてはいつまで現場にいるのかな?などと正直、引き際を考えていた。
そんな折、アエラに掲載されていた、岡島先生の奥様で「篤姫」の脚本家・田淵久美子さんのインタビューで目にした訃報。
私は一生涯、治療家として生きていくのだな。元気溌剌として。
答えはおのずと天から降って来る。
きっと自覚と言う名の無形のバトンがあるのだと思う。
師とは、想いとは、つくづく崇高なものだと思う。
ありがとうございました。
岡島瑞徳先生 亨年61歳
合掌